序 文
アラビア半島の人々は、長年にわたり口伝による豊かな伝統の下で、幸せな生活を送ってき
た。そして、この口伝の伝統を通じて、知識や経験や知恵が一つの世代から次の世代へと継承 されてきた。我々の歴史の重要な出来事は、我々市民の記憶の中にあるだけで、どこにも記録 されていない。それは、我々の息子や娘が家族の中のお年寄りから聞かされる物語、神話、伝 承の中で生き続けている。これらのたくさんの物語が一つに編み込まれて、我々の過去を物語 る色彩豊かなタピスリーを成している。
私はこれまで、父や叔父達がその生涯に出くわした幸せな出来事や、戦いに勝った喜びだ
けでなく、苦難や試練の話も、聞くのを楽しみにしてきた。これの話を繰り返し聞いている内に、 自分が想像の中でその幾つかの出来事を経験しているような気になった。そして、この地域の 人々の歴史に深い興味を抱くようになった。しかしながら、首長諸国の歴史に関する本を読め ば読むほど、私が自分の身内から聞いてきた話と照合することができないという思いを抱くよう になった。出来事についての歴史的事実は色々と書かれているが、その一方で、アブダビの 人々のことがほとんど書かれていないように思われるのである。それは、自然の脅威、飢え、 貧困、剥奪に対するアブダビ人の壮烈な闘争、言い換えれば逆境を克服するための熾烈な決 断の物語である。それと同時に、幾世代にわたり我々の生活の一部にさえなっていた伝統を物 語として伝えるということが、今ではあまり重要なことでなくなり、よりモダーンではあるが、しか し興味は薄くなったコミュニケーションの方法に席を譲ってしまった、と私は思っている。私は 我々の歴史の中で一つの重要な時代を失うという危険に直面していると感じている。それは単 に、この時代が私の一代前の世代と共に、消え失せてしまうのではないかという理由からであ る。それが故に私は、我々の最近の歴史の幾つかの場面を自ら書き残す決心をした次第であ る。
1950年代、60年代そして70年代の目撃者として私は、この時代の重要な出来事を記録
し、これからの若い世代の人々に伝承すること、そして石油が発見される以前の当地の生活が どんなものであったかについて、一般的にはアラブ首長国連邦、特にアブダビに新しくやって来 る人々にその情報を提供することが私の義務であると思った。この30年間に首長諸国で起き た変化というものは、それを自分自身の目で見た人にとってさえ、とても信じられないものであ った。50年足らず遡って見ても、我々の生活は、ほとんどその日暮らしに等しかった。我々は 自分の運命を神の手に任し、その保護を祈るしかなかった。事実、よちよち歩きの赤ん坊の時 代に、私を保護してくれる神の恩恵が無かったとしたならば、今日この本を書いている私は存 在しえなかった。
1950年にアブダビからアラインまでの砂漠の旅をした時、暑い太陽が照りつける砂丘の中
で母はラクダの背中に乗って、私を両腕で抱いていてくれた。7日間掛かるこの旅は精力を使 い果たしてしまうほど疲れるもので、ある時、母は疲れ果てて駱駝の上でうたた寝をしてしまっ た。私は母の腕から滑り落ち、彼女の着物に絡まって駱駝の脇腹にぶら下がっていた。間もな く、先行してた叔母が振り返った際、駱駝の歩調に合わせて、前後に揺れてぶら下がっている 私を見つけてくれた。駱駝の一行は止められ、私は助けられ、皆で私の命が救われたことを神 に感謝した。今日、私の子供たちはアブダビからアラインまでの2時間のドライブをする際は、 エアコンが効いた心地よい車で何時も眠っていく。時代は変わってしまった。
あの駱駝の脇腹になす術もなくぶら下がってから約15年後、アブダビの街の建設が始まっ
た。その時代にはアブダビ島の砂が、コンクリートを作るのに使われ、それは全ての建設される ものに混ぜられていた。その時、先生が我々に言われたことは、我々の街作りに必要なあらゆ る道路、家、ビルなどを建設するために必要な砂が、アブダビに無くなる日が来るであろうとい いうことであった。我々は、そんなことはあり得ないとあざ笑っていた。我々は、何時までも限り なく使える砂をアブダビに十分持っていた。それから5年も経たぬ内に、このあり得ないことが 現実となってしまい、建設の需要を満たすために、砂を砂漠から運んで来なければならなくなっ た。
アブダビの人々と共に、様々な領域で苦労をして来られたシェイク・ザイドの過去の旅につい
ての本を書くために、ご了承をお願いした時、シェイク・ザイドは喜んでこれに同意され、「我々 がこれから将来を征服することに成功したいというのであれば、これまでの過去を大切にする ことが、我々にとって最も重要なことだよ」と私に言われた。ご本人は、今では奢侈な暮らしをさ れているが、これまでの厳しかった時のことを決して忘れるような方ではない。我々は、祖先の 勇気と過去の教訓を忘れずに心に留め、シェイク・ザイドを模範とすることが大切なことである。
私は歴史家ではない。また書くことを職業とするものでもない。この本をまとめる目的は歴史
的、または文学的傑作を書くことではなかった。むしろ、遊牧ベドウィンの社会から、進歩的な、 組織的な、そして現代世界の先端技術を活用するに必要な手段を備えた社会へと変身させる ことで、我々の未来を形作って行った中で、その要因となった重要な出来事に、素朴な物語を 通して、光を当てることにあった。私は自分自身の観点から物語を述べていくことになるが、そ れはある場合には、私以前に我々の歴史を研究し、コメントしてきた別な人々の観点とは違うこ ともあろう。それは全く自然なことである。私はUAEナショナルとして、例えば、英国人が我々の 歴史を見た場合と比較して、明確に違った見方をすることがあることを、特に申し上げておく。そ れは、1800年代の初めから、我々が独立を達成した1971年までに、湾岸の当地で起こった 出来事について、私が現在の英国政府、あるいは間違ってもその国民の責任を問いたいとい う意味ではない。その時代に起こったことは、今となっては過去のことであり、我々はもっとバラ ンスのとれた、そして相互に有益な両国関係を目指して、各々の立場から努力を続けなければ ならない。
シェイク・ザイドが石油の収入を、我々全市民の利益のためにつぎ込まれるようになる以前
に、我々が遭遇した困難、辛苦について、UAEナショナルが十分に知ることができるよう、次の 時代のナショナルのためにこの本を書こうと、私は挑戦したのである。我々の子供が、以下の ページの中に潜んでいる何らかの教訓と共に、有益な知識を見出してくれること、並びに、彼ら が自分の夢を実現するべく努力する際、これの教訓と知識を有効に活用してくれることが、私 の切なる願いである。 |